第9回 美化ではなく文化

はじめに

 化粧品はいつからするようになったのか?実はホモサピエンスの2万5000年前の埋蔵品から、身体に化粧品が使われていた形跡が見つかっている。記録では、紀元前2500年の古代メソポタミアの都市テロで発見された粘土板に刻まれた楔形文字に石鹸処方が書かれている。また、紀元前2000年頃のエジプトのベニハッサン墳墓の壁画には、洗濯の動作の壁画が描かれている(図1)。
図1 エジプトのベニハッサン墳墓の壁画.jpg

(図1 エジプトのベニハッサン墳墓の壁画)

 その後特権階級を中心に、なんと男性!からメーキャップが始まったと言われている。化粧品は人類の歴史とともにある。古代は各自で造ったものからはじまり、今のように日本では室町末期から大量に化粧品が生産されていった。

 そこで今回は、化粧品にまつわる人そして文化について述べてみる。

国際結婚第1号

 ミュージカル『MITSUKO(ミツコ)』をご覧になっていない方のために説明させていただく。ミツコとは、1893年当時のオーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理公使として東京に駐在していたハインリヒ・クーデンホーフ=カレルギーと記録上、日本人で初めての国際結婚を果たした女性の名前である。彼女の息子は日本に何度も来日し、ヨーロッパ統一機構である欧州連合(EU)の礎を築いた。

 本名青山みつ、後のクーデンホーフ・ミツコは、青山喜八とその妻津禰(つね)の三女として東京市牛込区納戸町で1874年7月16日に生まれた。青山家はもともと油屋であったが同時に骨董商を営み繁盛していた。カレルギー公使が青山家の店先で落馬した際にミツコが救護したことが二人の馴れ初めといわれている。それは、ミツコの甲斐甲斐しい働きぶりに心を打たれた公使と結ばれた明治時代のラブストーリーである。

 彼女が45歳であった1919年、ゲラン社から香水『MITSOUKO』(図2)が発売された。
図2 ゲラン社の香水MITSUKO.jpg

(図2 ゲラン社の香水MITSOUKO)

 この名前は直接的には、この香水が発売された当時のベストセラーであったフランス人作家クロード・ファーレルの小説『ラ・バタイユ』のヒロインである「ミツコ」に由来したらしい。小説家ファーレルは、母として生涯をヨーロッパでおくったミツコ伯爵夫人の控えめながらも情熱的な美しさが当時のヨーロッパ社交界の花形的存在であったことから、その名前にヒントを得たようである。ともあれ国際結婚第1号の女性は、日本人女性の名を冠した化粧品1号でもある。

日の丸

 日本は太陽の国として白地に赤の日の丸を国旗にしている。しかし世界的歴史的に太陽が赤で描かれることは少なく太陽は黄色または金色、それに対して月は白色または銀色で表すのが一般的である。白地赤丸が日章旗として用いるようになった経緯は、諸説あり正確には不明である。一説には源平合戦の結果が影響していると言われている。平安時代まで、朝廷の象徴である錦の御旗には赤地に金の日輪が描いてある。平安時代末期に平氏は自ら官軍を名乗り御旗の色である赤旗を使用し、それに対抗する源氏は白旗を掲げて源平合戦を繰り広げた。

 余談だが大晦日の紅白に分かれて戦う歌合戦も含めて紅白戦はこれがルーツである。古代から国家統治と太陽は密接な関係であることから日輪は天下統一の象徴であり、平氏は御旗にちなんで「赤地金丸」を、源氏は「白地赤丸」を使用した。平氏が滅亡し、源氏によって武家政権ができると代々の将軍は源氏の末裔を名乗り、「白地赤丸」の日の丸が天下統一を成し遂げた者の象徴として受け継がれていったと言われる。

 しかし、国旗の赤色が規定されたのはごく最近、1964年の東京オリンピックの時に資生堂が決めたといわれている。熟したイチゴや血液のような色も赤である。赤は、紅、朱、丹とまさに色々である。JIS規格では基本色名の一つ、国際照明委員会(CIE)は700nmの波長をRGB表色系においてR(赤)と規定している。

 そこで日章の赤は、JIS慣用色名ではマンセル色体系で3R4/14または9R5.5/14が使われるようになった。化粧品でなくても色を扱う印刷や塗料の大手の化学系企業はいっぱいあったはずだが、やはり文化事業ということで白羽の矢が当たったのだと思う。ちなみに日章旗の制式は、縦横比を2対3、旗の中央(対角線の交点)を中心とし、縦の長さの5分の3を直径(縦を2とした場合r=0.6)とした円(日章、日輪)を描くのが正式である(図3)。
図3 日章旗の制式.jpg

(図3 日章旗の制式)

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島田邦男

琉球ボーテ(株) 代表取締役

1955年東京生まれ 工学博士 大分大学大学院工学研究科卒業、化粧品会社勤務を経て日油㈱を2014年退職。 日本化粧品技術者会東京支部常議員、日本油化学会関東支部副支部長、日中化粧品国際交流協会専門家委員、東京農業大学客員教授。 日油筑波研究所でグループリーダーとしてリン脂質ポリマーの評価研究を実施。 日本油化学会エディター賞受賞。経済産業省 特許出願技術動向調査委員を歴任。 主な著書に 「Nanotechnology for Producing Novel Cosmetics in Japan」((株)シーエムシー出版) 「Formulas,Ingredients and Production of Cosmetics」(Springer-Veriag GmbH) 他多数

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