コスメティックハウスなかはら、フリー客の獲得に全力

週刊粧業 2017年10月23日号 10ページ

カンタンに言うと

コスメティックハウスなかはら、フリー客の獲得に全力
 はじまりは戦前の昭和12年頃、油屋として女性の美を叶えるため椿油を販売していたコスメティックハウスなかはらは、今でこそ「キリョウ」を呼び水に新客の獲得が好調な店舗としてその地位を確立しているが、一時は時代のあおりを受け、店を畳む一歩手前まで追い込まれた経験がある。

 その苦い経験をバネに、試行錯誤を繰り返しながらフリー客獲得のプロセスを導き出し、店全体の活動として取り組んでいる。同店の活動について、㈲なかはらの2代目社長、中原浩氏に話を伺った。

経済低迷とともに同店も困窮
競合店の施策取り入れ復活狙う

 「なかはら」が店を構える千葉市中央区は、かつては県の商業の中心地だった。百貨店やスーパーなどが建ち並び、千葉中央駅は毎日3万人ほどの利用者がいるほど賑わっていたという。

 そのため、同店も戦後に油屋から化粧品小間物店に改装してからは、資生堂やコーセー、アルビオンといった制度品メーカー以外にも、レブロンやヘレナルビンスタインなどの、当時ファッション・ビューティの流行の最先端であった海外ブランドも取り扱い、千葉の有力店として百貨店にも負けない販売力を誇っていた。

 しかし、経済の低迷とともに徐々に千葉駅や千葉中央駅の商業都市としての地位も揺らぎ始め、1990年代後半には撤退する個人店も増えてきた。

 化粧品店も例外ではなく、空き店舗に化粧品のアウトレット専門店が増え、周辺の化粧品の価格が大きく乱れた。

 当時、その流れに対抗するために有力顧客を増やそうとベッドを3台導入してエステに注力していたが、増えるのはエステのお客ばかりで、高級価格帯ブランドは、安く販売しているディスカウントショップで購入されてしまうため、化粧品のお客がなかなか増えなかった。

 さらに、20年ほど前に自社ビルとなる「なかはらビル」を建てたが、テナントが入らず、もはや採算が取れなくなり、店を畳むことさえ考えた。

 しかし、すんでのところで踏みとどまった。ライバル店でもあり、同じ商圏内でともに化粧品販売に取り組んできた仲間でもあった店舗が、アルビオンの売上を急拡大させたからだ。

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