日東電化工業、「OSAJI(オサジ)」で拡大へギア

訪販ジャーナル 2017年11月13日号 1ページ

カンタンに言うと

  • 金属表面処理加工業の日東電化工業(群馬県高崎市)は2004年から、独自の無添加化粧品「nesno(ネスノ)」で化粧品の製造・販売業を開始し、先手を打つ格好で異業種参入を敢行した。
  • 化粧品事業の売上高は2010年以降に各年次で1.5倍の成長が続いている。
日東電化工業、「OSAJI(オサジ)」で拡大へギア
 かつて富士フイルムが化粧品事業を立ち上げた際、文言「異業種参入」が一気に市民権を得たといえるかもしれない。

 写真業の大手が化粧品ビジネスに名乗りをあげる少し前、金属表面処理加工業の日東電化工業(群馬県高崎市)は2004年から、独自の無添加化粧品「nesno(ネスノ)」で化粧品の製造・販売業を開始し、先行きが不透明になった生業の自動車エンジン等メッキ業に関し、その浮沈に先手を打つ格好で異業種参入を敢行していた。

 以降、長期戦で臨んだ成長期間が10年間を超えて2017年になると、初の直営店舗を東京文京区の人気スポット谷中に開店したほか、以降は有力デベロッパーから出店オファーが続いているという。

 起点から、同社の化粧品事業を「ほぼほぼ1人でやってきた」という常務取締役の茂田正和氏に、これまでの進捗と今後の見通しを聞いた。

100年企業の実現に向け
化粧品事業を立ち上げ

 ――金属加工を生業にしてきた貴社が、富士フイルムより早い2004年に化粧品へ打って出たきっかけを教えてください。

 茂田 そこには、いろいろな話がある。当社が行っているメッキ業とは自動車エンジン部品のメッキ加工で、1990年代に20年先を見通した時、おそらく電気自動車に取って変わっていく世の中で、ウチの売上はどうなるのかという疑問と不安が常にあった。

 当社が100年企業となっていくため、この数十年の間に業態変更を求められるのではないかと、私は考えていた。当時、高校生くらいだった。

 そうして、周囲から「日東電化工業に入る時は、メーカー業として業態変化の礎となるような何かを持ってやって来なさい」と言われて社会へ出ていった私が、やがて音楽業界を経てプライベート化粧品の下請け企画業のような仕事を始め、当社が一念発起で「自分たちのブランドを持ってモノづくりをしよう」となったタイミングで日東電化工業へ入った。当社内に、化粧品事業が立ち上がった。

 もともと当社はモノづくりの会社で、作ることは大好きだしプロフェッショナルだ。

 化粧品を「作る」という試みへ、ハードルは高くなかった。また、自動車メーカーの厳格な品質管理基準に対応してきた当社は、早速に化粧品製造業許可を取得した。

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