【週刊粧業2019年12月2日号4面にて掲載】
ツルハ(現ツルハホールディングス)は2012年4月、念願だった1000店に到達した。それを記念して流通ジャーナルが特集を企画し、鶴羽樹(つるは たつる)社長(当時、現会長)にインタビューした。
「とうとう1000店を突破しましたね」
「私の兄、肇会長(当時、現名誉会長)は、常に現在の20倍をめざすと言い続けてきました。私が入社したときは僅か5店でしたが、100店達成が目標でした。50店のときは1000店というわけです。目標は25年後でしたが、僅か2年足らずの遅れでこの長期目標を達成できました。これは誰にも見せたことがない私の手書きの手帳ですが、加藤さんだから仕方がない。ここにツルハの店舗数の年次別目標とその年次の達成数字があるでしょう」
何より驚いたのは、目標とする店舗数と、それを達成した年度と数字にほとんど大きな狂いがなかったことである。その見事なまでの計画達成力は驚嘆に値する。
同社はいまでもそうだが、自力出店とM&Aを両立させた成長を続けている。自力出店では、人口1万人1店のペースでドミナントを形成している。発祥の地である北海道旭川市、さらに札幌市などでは既に1万人を大きく切っている。中心街の四つ角に立てば、3、4店のツルハドラッグが視認できる。
なお同社は、この1000店到達から僅か7年後の2019年5月期には2000店を突破している。次の長期目標は、国内1万2000店、海外8000店のグローバル2万店である。
ツルハのこうした「店舗開発力」と並ぶもう一つの大きな特徴は「接客販売力」である。この礎を築いたのが樹会長の兄、肇 名誉会長夫人の弘子さん(現相談役)である。彼女は札幌市内の病院の看護婦だったが、肇氏と結婚して彼が旭川市内に開業したツルハ薬局で働くことになった。
「当時は創業間もなくで、北海道初の薬のセルフサービスを導入したことなどでとにかく忙しく、食事も子供を背負って壁に寄り掛かり、にぎり飯を頬張る毎日でした」と20年ほど前の私とのインタビューで当時を述懐した。
ツルハはいまでもそうだが、カネボウ化粧品を日本一売る。そのきっかけについて弘子さんは、「当時、『ツルハは安売りだ』ということで、大手制度品メーカーはどこも当社との取引を敬遠していました。その中で唯一、カネボウ化粧品だけが取引に応じてくれたのです。それからは、化粧品の接客販売に情熱を傾けました」
弘子さんはその後、専務 商品本部長などを歴任し接客販売力の磨き上げに全力で取り組んできた。いまのツルハは、彼女の存在なくしては考えられない。