第39回 「独自開発の生鮮加工システムを業界全体に」(関西スーパーマーケット 北野祐次 元会長)

【週刊粧業2020年11月23日号6面にて掲載】

 日本のスーパーマーケット第1号は、1953年(昭和28年)、東京 青山にオープンした「紀ノ国屋 青山店」である。なお紀ノ國屋は現在、JR東日本の完全子会社となっており、主として駅ビル、駅ナカに小型店を次々と出店している。

 しかし、スーパーマーケットの中核商品である生鮮食品の加工処理を行う日本独自のバックヤードシステムを開発したのは「関西スーパーマーケット」が最初である。同社は紀ノ国屋青山店に遅れること6年後の1959年(昭和34年)、兵庫県伊丹市に1号店の「伊丹店」(現中央店)をオープンしている。

 創業者である北野祐次社長(当時)は、鮮度をとくに重視する日本の消費者に合わせた生鮮食品の加工処理システムの開発に全力を挙げて取り組んだ。

 後に「関西スーパーモデル」と呼ばれるようになったバックヤードシステムは、メーカーの大量生産方式を参考にして、ベルトコンベアに代わるカートラック方式を自ら考案して完成させた。

 北野さんの偉いところは、苦心して創り上げたこのシステムを、業界に惜しげも無く無償で公開したことである。この結果、「関西スーパーモデル」は全国のスーパーマーケットや総合スーパーに瞬く間に普及し、業界の加工処理技術の向上に大きく貢献した。

 いまスーパーマーケット業界は、人手不足や人件費の上昇に苦慮している。それを克服するための一つの手段として、関西スーパーモデルのようなインストア加工を中心とした方式から、センターによる集中加工方式に切り換える企業が増えている。

 元祖といえる関西スーパーマーケットも例外ではなく、2018年9月には、「神戸赤松台センター」(神戸市北区赤松台、延床面積1189坪)を本格稼働させている。

 同センターは、寿司や米飯を製造する「神戸セントラルキッチン」と、野菜や果物をパックしたり小分けしたりする「神戸プロセスセンター」の2つの機能を備えている。

 北野さんは2013年2月、88歳で亡くなられたが、日頃から、「私どもスーパーマーケットは、毎日のおいしいおかずを提供する『おかず屋』です」と言い続けていた。

 2002年、第2代社長に就任した井上保氏は、とくに「商品づくり」に力を入れ、おいしい商品を地道に作り続けた。自らカムチャッカ半島まで出かけて直接輸入した「極紅鮭」は、「当社自慢の品」を代表する商品として好評だ。

 井上社長は、「当社自慢の品は、100品目を目標に開発を進め、売上高の10%、荒利益高の15%を占めることをめざしています」と私に語っている。だが残念ながら井上さんは2014年11月、肺がんのため67歳の若さで亡くなられた。

 井上さんの後、第3代社長に就任した福谷耕治氏は、「継承 創成 挑戦」をスローガンとして、2016年に建替新設した「中央店」を新たなモデルとして、既存店の大改装を積極的に推進している。

 さらに2016年11月には、エイチ・ツー・オー リテイリングと資本業務提携し、第三者割当増資で51億円の資金を調達した。

 福谷社長は「これを今後の新店開設、全面改装、基幹情報システムの構築などの純投資に振り向けます」と語る。現在、エイチ・ツー・オー リテイリングの持株比率は10.16%で筆頭株主となっている。(次回は、CFSコーポレーション創業者 石田健二氏)
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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