中国における薬粧化粧品(薬用化粧品)市場の現状

カンタンに言うと

中国における薬粧化粧品(薬用化粧品)市場の現状

 なぜ“薬粧”が中国化粧品市場において大ヒットになったかというと、まず薬粧というのは中国国内にとって新しいコンセプトである、新しいものでありさえすれば、必ず新しいチャンスが潜んでいる。

 それから、薬粧というコンセプトは巨大な消費市場をもたらしてくれるからである。さらに詳しく言うと、欧米において薬粧化粧品は年間売上が千億ドルも越え、化粧品全体市場の60%以上を占めている。中国の市場に目を向けると2/3の消費者はそれぞれ肌の悩みを持っている。一旦この市場を開拓したら、売上規模は1000億を上回るだろうと北京工商大学中国化粧品開発センターのトン(董)銀卯教授はこう紹介した。

【中国国内薬粧市場の取り合い】

 薬粧は海外市場では40年以上の歴史を持っている。現在、世界中全体化粧品売上の70%近くを薬粧化粧品が占めている。その中、ロレアルグループ傘下のヴィシー(VICHY)、ピエールファーブル(Pierre Fabre)グループ傘下のアベンヌ(AVENE)、カネボウ傘下のフリープラス(FreePlus)などの外資系薬粧化粧品ブランドが既に中国に進出してそれぞれ市場シェアを取っている。

 ほとんどのローカル薬粧ブランドは2000年以降にスタート、今日まで来たのも起伏の多い道だった。このうち焦点となったのは多くの中華老舗の医薬企業は薬粧市場へ突入したことである。

 国内において一番早く薬粧領域に触れたのは老舗の漢方薬企業―片仔癀(PZH)である。当会社は1986年に「(福建省)漳州片仔癀皇后化粧品公司」を設立し、最初パールクリームを主力商品として化粧品市場へ試しで発売し、2000年以降に本腰をいれ美白などのシリーズ商品を発売した。

 その次に北京同仁堂は2001年に「同仁本草化粧品公司」を設立し、本格的に薬粧領域に足を踏み入れた。はじめに主に美白マスクを取り扱ったが、その後「同仁堂麦尔海化粧品公司」を設立し、シミ・ソバカス対策の商品や、スキンケア、メンズ商品、キッズコスメなどのシリーズ用品を相次いで世に出した。

 もう一社は「雲南白薬」グループ。“雲南白薬”は上述の片仔癀と北京同仁堂と違って、トイレタリー製品の開発に注力した。2004年“雲南白薬ハミガキ膏”の発売が成功し、それから薬用ヘアケア市場を開拓した。

 2009年に武漢馬応龍薬業グループも目元クマ対策のアイクリーム(中国語商品名:八宝眼霜)を発売した。当初武漢エリアでテスト販売時に好評を博して素晴らしい売上実績を作り上げた。

 漢方薬企業のほかには、実力のある一般医薬企業も争って薬粧市場へ飛び込んでいった。

 2001年、昆明聖火グループ(China Shenghuo Pharmaceutical Holdings, Inc. China Shenghuo Pharmaceutical Holdings, Inc.)は化粧品販売会社を設立し、「十二味」というブランドの薬用化粧品を発売。2006年、康恩貝グループ(ZheJiang Conba Pharmaceutical Co., LTD)はキッズコスメ商品「萃芙理」(Chainfree)を発売。2007年、哈薬グループ(SanJing Pharmaceutical CO., LTD)は植物エキス配合の毛染め剤を発売。2008年雲南滇虹薬業(Yunnan Dianhong Group CO., LTD)は高級メディカルコスメライン「WINONA」を発売。2012年、武漢健民薬業グループはキッズ薬用コスメ市場へ進出するとの計画を発表している。ほとんどの中国国内大手医薬企業はこの薬粧市場争奪戦に巻き込まれている。

 医薬製造企業だけではなく、医薬小売企業も薬粧市場のチャンスを見据えている。2003年9月、杭州武林薬房は薬粧薬粧化粧品の専門店―「武林薬粧館」をオープンした。その次に湖南省長沙市にある「千金薬業」はコストを惜しまずに「千金薬粧汇」(小売店)を開店;湖北省武漢市にある武漢馬応龍薬大薬房は武漢市内に「康而美時尚薬粧店」系列店を30店近くの店を一気に開店した。

 薬粧領域急速な発展に対応し、薬粧産業チェーンを観察するため、国家管理機構もそれなりに調整している。SFDA(国家食品薬品監督管理局)は「健康食品化粧品監館司」という管理機構を特設したほか、中医薬(漢方)医学会、非処方せん協会、医薬業界協会などの組合も薬粧専業委員会を特設した。

 ただ十年間で「薬粧」はまったく消費者が知らないものから一つの流行になった。
 
【成功までまだ遠い】

 注目を浴びつつある薬粧市場のこの十年間を見ると、薬粧市場の開拓が成功した企業は指折り数えるほど少ない。一部の調査データによるとここ10年の間に薬粧市場への投資総金額は300億元だが、実際の売上は100億元までにも至っていない大赤字の状況である。

 最初薬業事業をスタートした頃に企業家らは自信満々で大言壮語したが、今となってはあまり成果が出ていない。これがまさに薬粧市場の有り様である。

 2008年に昆明聖火グループは「十二味」を発売する時にアメリカに上場した資金の実力を借りて北京五輪大会のビジネスチャンスに乗り、盛大に新発表会を行い、当時の総経理も「中国ローカル薬粧ブランドの№1を目指す」と宣言した。またいち早く市場開拓するため、芸能人を起用する為に5000万元の大金も投げ込んでいた。これは当時、世間を騒がせた話であった。しかし4年間で四苦八苦して総経理の椅子に何人かも座ったが市場の中、「十二味」のカウンターは見えなくなりつつある。何年も継続して売上目標が未達成という状況の中、2012年に「十二味」の営業チームが解散となった。

 「北京同仁堂」は中国国内において最も影響力のある漢方企業として、薬粧市場での動きも業界内外から注目が集まっている。「北京同仁堂」は2001年に正式に薬粧市場へ進出し、薬房チャネルで難航したこともあり、ブランド名も「同仁本草」、「麗妍坊」、「伊粧」、「同仁堂」に数回の変更もあって、その挙句の果てが3000元の売上を突破しなかった。

 片仔癀(PZH)は薬業をはじめてから26年になる。国内薬業業界において最も歴史の長い企業である。「皇后」「片仔癀」「PZH」などのシリーズ商品を開発し、多少進展伸びているが、依然として経営は苦しい。決して成功したとはまだ言えない。

 2009年武漢馬応龍薬業グループが発売した目元クマ対策のアイクリームは武漢エリアにおいて人気を博したが、武漢エリア以外の市場開拓や今後長期的な発展をするには、ブランドといい、チャネルといい、まだ大きなチャレンジがある。

 雲南滇虹薬業の「WINONA」は皮膚病院とタイアップする戦略もまだ順調ではないようだ。

 「薬粧市場への進出が失敗した」というのもまだ早いだが、一部の企業は進退窮まってしまったのは疑いない事実である。ポテンシャルのある薬粧市場へ投資してみたが、なぜ予想したとおりに報われなかったのだろう?誰もが考えずにはいられないのである。

【管理欠乏】

 市場が堅実に発展していくかどうか、管理機構からの指導と管理も重要である。海外の“薬粧”は40年の歴史を持っている。その国の政府や関連機構からの管理もしっかりしている。しかし、中国では薬粧に対する管理はまだまだ不備がある。

 現在、中国国家は化粧品に対する管理がかなり緩い。大体の化粧品企業は「衛生許可証」さえを取得すれば化粧品の製造ができる。商品の成分を厳しく検査されていないし、その商品が本当に効果があるかという判断基準と管理システムもない。深刻な過敏症や副作用がさえなければ問題なしという認識で販売されている。

 中国国家が薬粧に対する管理がうやむやで、はっきりしていない理由の一つは、薬粧化粧品と普通の化粧品との定義が明確に分かれていない。というのは薬粧化粧品は普通の化粧品の管理制度に当てはめており、商品の効果をPRしたりほのめかしたりしてはならない。効果を訴求しないとなると薬粧は本当の「薬粧」ではなくなる。これは国内薬粧市場の最大の課題と言える。

 二つ目の理由は薬粧化粧品の効果を評価する基準が欠けている。現在薬粧化粧品の配合成分及び効果を評価する基準がはっきりされていないため、製造企業は参考しかねない、管理部門からも商品に優劣つけがたい状況になっている。悪質商品は消費者を誤魔化して優良商品は商品自体の優位性を訴求できないため、良い商品も悪い商品も市場に混在しており、管理も混乱している。

【イノベーションのあるビジネスモデルが必要】

 薬粧市場の発展には国家政府の管理だけではなく、企業自身も積極的に困難克服、課題解決する必要がある。中国の医薬業界にとっては「薬粧」は真新しい領域であり、この新しい領域を成功開拓するには古いしきたりを打ち破り、過去の成功体験を捨て新しいビジネスモデル作りをしなければならない。この新しいビジネスモデルを作るときに考慮すべき、いくつかの要素が下記の通りとなる。

 一つ目は商品開発の考え方。薬粧市場開拓の成否は商品開発次第だと言っても過言ではない。消費者ニーズを満たし、サービスも商品効果も良く、長期使用に適するのは商品開発の前提となる。薬粧化粧品の開発は医薬の開発とも違い、また化粧品の開発とも違っている。薬粧化粧品は普通の化粧品と差別をつけるのにとどまらず、一途に薬用効果を訴求することを避けないといけない。つまり、薬粧化粧品は化粧品でありながら化粧品以上に肌のトラブルを対処できるような開発視点は大事だが、この加減がなかなか難しいものである。

 もう一つは販売形態のシフト。VICHYをはじめ、多くの外資系の薬粧化粧品は最初に薬房にカウンターを導入し販売していたが、近年国家医療保険の制度によって化粧品を薬局での販売は禁止されているため、VICHYは販売ルートを変えざるを得なかった。2009年以降、VICHYは大半数のカウンターを薬房から撤退した。同仁堂、片仔癀、雲南白薬、馬応龍などのブランドも同じように薬房で難航している。薬粧化粧品ブランドは百貨店、スーパー、専門店また美容サロンといった化粧品の主流販売ルートへ導入することになった。しかしながら医薬、製薬企業にとっては化粧品の販売ルートが馴染んでいない領域である為、薬粧化粧品について経営方針、市場戦略などの見直しが必要だと言える。

 最後にマーケティングプランも考慮が必要。消費者の視点では医薬品の消費と化粧品の消費は根本的に違うものである。「きれいになりたい、おしゃれしたい」との感性で化粧品を買う。「病気にかかって直したい」と思って病気に効く医薬品を買うのが理想的な行動である。薬粧について医薬、製薬企業は如何に消費者の理性と感性を融合していくようなマーケティングプランを立てるのは大きなチャレンジである。

 「薬粧市場への開拓は情熱だけでは成功しないもの」と回り道をしていた国内多くの医薬企業はやっと気づいた。業界内に市場管理システムの完備と企業自身の消費者ニーズを満たした経営戦略を採れば、薬粧市場は堅実に発展していくでしょう。

 2009年国内の「片仔癀」は韓国の化粧品OEM会社―COSMAXとタイアップし商品品質とブランド力アップを図った。同年に雲南白薬グループは「金殿薬業」を買収し、また日本のMalesve化粧品株式会社と提携して薬粧化粧品開発を始めた。2011年馬応龍グループは「八宝生物科技公司」を設立し、プロフェッショナルな営業陳を揃え、薬粧事業に参入している。企業の様々な対策で国内薬粧市場に希望が見えてきた。

記事提供元:中国化粧品専門誌「化粧品観察」

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