洗浄剤において、石鹸に次いで馴染み深い商品はシャンプーだろう。シャンプー(Shampoo)は元々、「押す」を意味するインドのヒンディー語で、お湯やハーブを使ってヘッドマッサージをするという意味で使われるようになり、そこから転じて洗髪剤を指す言葉になったといわれている。
髪は櫛で梳くことはあっても、実は人類の歴史であまり髪を洗うという習慣はなかったため、石鹸とは異なり後発商品になる。先発ではない洗髪に使うシャンプーの歴史について述べてみる。
シャンプー歴史 その1
ポーラ文化研究所によると古代の日本では、身体を洗い清めることは神道や仏教などの宗教的な儀式として行われていた。「枕草子」で有名な清少納言の平安時代に、上流階級の女性であっても洗髪を行うのは何と年に1回だった。“清潔”を目的とした洗浄の習慣が一般庶民にまで浸透していったのは、江戸時代になってからだ。
女性の髪型は長い髪を結い上げた日本髪で、庶民でも月1~2回と洗髪頻度が上がる。家の縁側、勝手の土間、井戸端などで洗っていたようだが、江戸の町屋の女性は銭湯での入浴時に髪も洗っていた。
江戸時代の風俗誌『守貞謾稿』(喜田川守貞著・1837-53)に女性の洗髪について、次のような記述がある。
「…江戸の婦女は毎月一、二度必ず髪を洗ひて、垢を去り臭気を除く、夏月には特に屢々沐して之を除く。蓋近年匂油を用ひることを好まず。又更に髪に香をたき染ること久しく廃て之を聞かざるなり。…江戸も御殿女中は髪を洗ふこと稀也。京坂の婦女も之を洗ふ者甚だ稀。…大凡髪を洗はざる婦女は唐櫛を以って精く梳り垢を去り、しかる後匂油を用ひて臭気を防ぐ、…」。
江戸の女性は必ず月に1~2回は髪を洗い、夏季には洗髪回数が増えたとある。そして、京坂の女性や江戸の御殿女中は、あまり髪を洗わず櫛で梳き匂油を使うとあり、洗髪頻度は季節や地域によって差があったことがわかる。
寛政5年(1793年)に書かれた洒落本『取組手鑑』という本には、「かみあらい日は、二十七なり、…庭のおおがまでたくゆへ、二かい、しんとしているゆへ、ま木のはねる音きこへるなり、…」とあるが、これは遊郭内の話で遊女は月1回髪洗い日が決められていたようで、毎月27日は洗髪日だということがわる。
庭に大釜で湯を沸かし、一斉に髪を洗ったらしい。図1の浮世絵は金盥に水を入れて解き櫛で髪をほぐしながら洗っている様子だ。上半身もろ肌を脱いだ格好で、当時は洗髪していた。
そして、江戸時代にも現代のシャンプーの代わりとなる素材があり、それが「海蘿」と「うどん粉」だ。その作り方は、文化10年(1813年)に出された総合美容読本『都風俗化粧伝』の「髪を洗う伝」で次のように記されている。
「ふのりをさきて、熱き湯につけ置き、箸にてまわせば、よく解くるなり。その中へ、うどんの粉を入れ、掻き交ぜ、熱きうちに髪へよくよくすり付け、また、手にすくいためて髪をよくよくもめば、髪につきたる油、ことごとく取れる也。そののち、あつき湯にて髪を洗えば、とくとけ、さばけるなり。その次に、髪を水にて洗いてのち、よく干し、髪を結えば、色をよくし、光沢を出だし、あしきにおいを去る也。」
ふのりを熱いお湯に浸けてよく溶かし、そこにうどん粉をプラスしてよく混ぜ合わせたら、江戸の手作りシャンプーができあがる。髪にすりつけよくもんで、そのあと熱いお湯ですすぎ、最後に水で洗えば、油や匂いまでもきれいに落ちて艶も出たとある。
シャンプー歴史 その2
シャンプーという名の製品が世の中に出たのは、日本では僅か100年にも満たない。大正時代末期に「資生堂髪洗粉」という製品はあったが、最初に登場したのは昭和6年(1931年)のことで、創業者・平尾賛平のレート本舗から『何でも洗えるシャンプー』という洗い粉が発売されたのが最初である。
髪だけでなく、身体も洗うためのものだが、これが日本におけるシャンプーの草分け的存在だ。創業者の曾孫が作曲家の故・平尾昌晃だが昭和29年にこの会社は倒産している。
昭和7年(1932年)に、現在の花王の前身である長瀬商会が『花王シャンプー』を発売し、同時期に各メーカーから様々なシャンプー剤が発売された(図2)。シャンプーといっても固形石鹸で、砕いた粉を水で混ぜて泡立てて使用する。髪専用の石鹸で泡立ちも香りも良く、仕上りの良さから富裕層から徐々に認知が広まっていった。
しかし、当時まだシャンプーは高級品で、普通の石鹸で髪を洗う人が多かった。
石鹼原料ではないシャンプー処方が登場するのは、戦後も少し落ち着いた昭和25年(1955年)以降になってからだ。アルカリ性の石鹸の時代から合成洗剤系粉末の中性洗髪料になると、メーカーは機能性だけでなく大幅に生産スピードも上げることができた。つまり、洗髪の習慣を定着させる絶好の機会になった。
そんな中、今では考えられないが洗髪の頻度を「5日に1度はシャンプーを」という広告コピーが示すように(図3)、シャンプーで髪を洗う習慣も徐々に日常的になってきたのである。多くが家風呂などない時代に、少量が小袋に入った花王フェザーシャンプー(中性・粉末)を銭湯で販売すると、入浴料と同時に購入しシャンプー売上がその会社の80%近くを占めるヒットになったという(図3)。
液体シャンプーを広めたのは、昭和40年(1965年)に発売されたライオンのエメロンというシャンプーで、それを反映するかのように昭和45年(1970年)にはエメロンクリームリンスを発売した。
エメロンの名前は「エメラルド」+「ライオン」が由来である。花王などの先行ブランドに対抗する必要があったが、当時の社名「ライオン油脂」は洗濯石鹸メーカーのイメージが強く、香粧品のソフトなイメージはない。そこで、会社名を前面に出すよりもブランドを育てあげることを優先した。
街角で素人女性に後ろからインタビューして、応じた人の後ろ姿と髪の毛を見せるTVCMで「ふりむかないで」の曲が流れ、さらさらした髪の美しさに注目が集まった。おしゃれと直結した日用品としてシャンプーとリンスをセットで使うのが当たり前の時代に突入する(図4)。
80年代には若い女性を中心に「朝シャン」など新しい洗髪習慣が現れ、消費者のニーズに応じて、頭皮ケア・フケ防止・養毛・育毛・ノンシリコン、ドライシャンプーなどの様々なタイプのシャンプーが発売されるようになり、今に至っている。
おわりに
1964年にパリで、「健康な頭皮から健康な髪が生まれる」という理念に基づいて有名なケラスターゼ(Kerasutase)のシャンプーが生まれる。
ブランド名は、毛髪を意味する「ケラチン」と、美しさを意味する「スターゼ」という2つの言葉を組み合わせて命名された。日本に進出したのは1990年である。私は、この原稿を入稿したとき、ヘアケアの化粧文化も日本から世界へ発信することも忘れてはいけないと思った。