第16回 「テスコに学ぶ」(マルエツ 吉野平八郎 元社長)

【週刊粧業2020年3月23日号12面にて掲載】

 サッカーのワールドカップを日本と韓国が同時開催した2002年、マルエツの吉野平八郎社長をはじめ同社幹部6名をヨーロッパの流通視察にお連れした。後に社長となる経営企画担当の高橋惠三氏もこの中にいた。

 「加藤さん、一度我々をヨーロッパにご案内願えませんか。とくにイギリスのテスコに興味をもっているんですよ」

 吉野さんのこの要請で、テスコを中心とした視察スケジュールを組み、アポイントを取った。流通ジャーナルはその当時、アメリカ視察セミナーに加え、ヨーロッパ視察セミナーも年に1、2回開催していた。今回はそのマルエツ特別版というわけである。

 テスコがまだ日本に進出する前で、イギリス最大の小売業として業績も非常に好調だった。ハイパーマーケットの「テスコ エクストラ」、スーパーストア、スーパーマーケットの「テスコ」、都市型スーパーマーケットの「テスコ メトロ」、コンビニエンスストアの「テスコ エクスプレス」の5つを主力業態として展開していた。

 なかでも吉野さんが関心を寄せていたのが「テスコ メトロ」「テスコ エクスプレス」の小型2業態だった。

 テスコの本部で同社幹部から詳しい説明を受け、その後、代表的な店舗を紹介され、バックヤードを含めて視察した。テスコの大きな特徴は、50%を超えるオウンブランド(PB)比率の高さである。しかも全ての業態で売価を同一にしており、小型業態は自動発注が基本だった。

 こうした同社の業態戦略をつぶさに視察した吉野社長はじめ同社幹部は帰国後、都市型小型業態の「フーデックス」の開発に乗り出す。それが現在の「マルエツ プチ」に繋がっている。マルエツ プチは第2の主力業態として、都内中心部を中心に、買物に不便を感じている人々に支持されている。

 マルエツがまだ「有限会社 丸悦ストアー」だった時代、店数も10店をやや超えた状況の頃、入社間もない駆け出し記者の私は、「埼玉県で非常に元気のよいスーパーマーケットがある」ということでJR京浜東北線蕨駅からほど近い同社本部を訪れた。

 プレハブ建ての簡素な本部で快く取材に応じてくれたのが、当時営業本部長の髙橋登志雄専務だった。穏やかな感じの人だったが、その腕の太さには驚いた。現場たたき上げだとすぐに分かった。

 何回か取材する中で、彼の次のような言葉が印象に残っている。当時、西友ストアー(現西友)の勢いがよく、西武鉄道沿線を中心に出店を重ねていた。

 「西友ストアーの出店スピードが速いですね」

 「彼らが鉄道沿線で各駅停車のように出店するならば、当社はバス停の数カ所おきに出店していきますよ」

 マルエツがサンコーを吸収合併した1981年、実兄の髙橋八太郎社長と意見が分かれ、結局、登志雄専務は同社を退社して自分で「生鮮市場」を始めた。

 その後のマルエツは、ダイエー、さらにイオンと提携し、2015年には、マルエツ、カスミ、マックスバリュ関東の3社で「ユナイテッド スーパーマーケット ホールディングス」を設立して現在に至っている。
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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