【週刊粧業2019年11月4日号5面にて掲載】
私が「週刊粧業」の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。大手化粧品メーカーでの2年余りの勤務を経て、父が経営する会社で働くことにした。
それ以来今日まで、流通小売業界の報道に携わってきた。この間、国内はもちろん、アメリカ、ヨーロッパ、さらにアジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。今回諸般の事情で流通ジャーナルが週刊粧業に吸収合併されたことで、流通ジャーナルの3媒体が休刊となった。
私自身の50年に及ぶ記者生活にも一応ビリオドを打つことにした。このため、これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを今号から連載の形で紹介したい。
私が入社早々に行かされたのが箱根 小湧園である。
流通小売業界のコンサルタント集団「日本リテイリングセンター」が主宰する「ペガサスクラブ 政策セミナー」が開催されており、チーフコンサルタントの渥美俊一先生が、ワイシャツを腕まくりしながら熱弁を振るっておられた。休憩時間もろくろく取らず何時間も立ち通しでぶっ続けて講義されていた。
何百人もの聴講者の中には、ダイエーの中内功社長、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊社長、ジャスコ(現イオン)の岡田卓也社長など錚々たる経営者が机を並べて熱心に講義に耳を傾けていた。
渥美先生は、東大法学部を卒業して読売新聞社に入社し、横浜支局の記者として「商店のページ」を担当したことから、当時勃興しつつあった新進気鋭の若き小売業者との交流に力を注いだ。その一環として彼ら有志によって設立されたのが前述の研究団体「ペガサスクラブ」だった。その名のごとく、天駆ける天馬がシンボルマークで、その息たるや天を衝くものがあった。
アメリカの先進小売業、中でもチェーンストアに着目し、その神髄を日本に紹介して、当時暗黒大陸と言われていた小売業の近代化、現代化に寄与しようとした。その中からダイエーをはじめとするビッグストアが次々と誕生した。「アメリカ人が享受している豊かな生活を実現させているのがチェーンストアである」との信念から、その組織論や経営手法を熱情を持って教えた。
この「渥美理論」を忠実に守り実行して成長したチェーンストアは数知れないが、最も最近では「ニトリ」や「コスモス薬品」などがこの「渥美学校」の優等生である。
渥美先生亡き後は、その奥様、ご子息が後を引継いでおり、「政策セミナー」は現在も盛況に開催されている。