第7回 「後継者」(ライフコーポレーション 清水信次会長兼CEO)

【週刊粧業2020年1月1日号78面にて掲載】

 ライフコーポレーションの清水信次会長が社長だった1990年代初め、一緒にヨーロッパの小売業を15日間視察したことがあった。

 「加藤さん、アメリカの小売業を視察するのもよいが、ヨーロッパも負けてはいないよ。今度一緒に見て回らないか」 

 そこでイギリスのテスコ、フランスのカルフール、ベルギーのデレーズ、オランダのアホールドなどを軒並み視察した。

 ロンドンでは、三菱商事から出向していた爽やかな青年社員が熱心にテスコやセインズペリーなどを案内してくれた。

 「清水さん。何と清々しい青年ではないですか。ライフに是非欲しい位ですね」

 「そうだね」

 帰国後早速清水さんは三菱商事の社長と直談判し、将来の幹部候補生だからと渋る同社を何とか説得して2年後の1994年2月、彼をライフに入社させた。それが現在の岩崎高治社長である。2006年3月には、清水会長兼CEO、岩崎社長兼COO体制がスタートして今に至っている。

 どの会社でもそうだが、後継者問題は経営の最大課題の一つである。ライフも例外ではない。

 清水さんは1982年2月、ライフが大証二部に上場した機会に、実弟で自分の片腕だった清水三夫氏に社長を譲り、自らは会長に就任して営業の第一線から退いた。その後同社は、1983年に東証二部、1984年に東証一部に上場するなど順調に成長を続けた。だがバブル経済の終盤に差しかかったとき、三夫氏は株式運用にのめり込むようになり、肝心な本業が疎かにされた。

 これに危機感を持った清水さんは1988年3月、電撃的に開いた役員会で三夫社長を解任し、自ら会長兼社長として現場に復帰した。

 「復帰して直ぐ全店を見て回ったが、店は荒れるに任せており絶望的状態だった。そこですぐ全店の改装を指示し、それが一段落した後に本格的に出店を再開した」

 この出店再開が、ライフを日本最大のスーパーマーケットに成長させた「怒濤の出店」である。1993年から2000年までの8年間で実に132店を開設した。年間平均で16.5店という大量出店である。

 実弟を後継者にして結局失敗し、大きな経営危機を招いた深刻な経験があるからこそ、清水さんは後継者選びには慎重だった。そこに現れたのが岩崎さんだったのである。

 岩崎社長が最も重視するのが「地域のお客さま、社会、従業員からの信頼」である。それはライフ創業の原点でもある。ライフはいま、第六次中期計画において、人、店、商品にさらに投資することによって2021年度には、店舗数400店、売上高8000億円、経常利益200億円の実現をめざしている。
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加藤英夫

週刊粧業 顧問(週刊粧業 流通ジャーナル 前会長)

私が週刊粧業の子会社「流通ジャーナル」に入社したのは今からちょうど50年前の昭和44年(1969年)6月だった。この間、国内はもちろんアメリカ・ヨーロッパ・アジアにも頻繁に足を運び、経営トップと膝を交えて語り合ってきた。これまでの国内外の小売経営トップとの交流の中で私なりに感じた彼らの経営に対する真摯な考え方やその生きざまを連載の形で紹介したい。

https://www.syogyo.jp/

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