アルビオン、取引先被災店舗を物心両面でサポート

粧業日報

カンタンに言うと

アルビオン、取引先被災店舗を物心両面でサポート

 高級化粧品メーカーのアルビオン(本社=東京、小林章一社長)の取引先では、東日本大震災の地震や津波による被害で6店が「全壊」となったほか、「半壊」「休業」(コーナー等の「一部被害」は含まず)を合わせ21店が被害に遭った。そうした事態を受け、同社では、震災発生直後より取引先被災店舗の1日も早い営業再開に向けて早くも動き出していた。

 震災翌週以降は、被災店舗を直接訪問し、率先して後片付けを買って出たほか、店舗が全壊し廃業まで考えるほど追いつめられたオーナーの折れそうな気持ちに寄り添い、再起を図るためにできうる限りの支援を行うことを直接伝えることで、再起に向けた力強い一歩を踏み出す心のケアまで行った。そこで今回は、その舞台裏で繰り広げられた幾つかの出来事を紹介する。

 震災が起こった3月11日午後2時46分には、同社仙台支店において得意先向けのセミナーを開催していたが、鉄道・通信が途絶えてしまったため、営業車を総動員し、深夜にわたり全員で手分けして得意先全員を自宅まで送り届けた。

 週が明けて早々の3月15日には、本社幹部が現地入りし、手分けして被災地への第1回目の視察を行った。大和緑営業本部副本部長は青森空港から青森支店に向かい、営業車で現地(八戸、盛岡、一関)に入った。別の幹部は手分けをして立入禁止区域以外の福島県、茨城県、千葉県へと向かった。3月22日にも本社幹部による被災地の視察、見舞いが行われた。

 3月15日、22日、4月1日の3回にわたり被災地を訪問した渡辺数広東日本営業部長は、羽田空港から山形空港へ入ったものの、鉄道が不通なためバスで仙台に向かった。その際に一番困ったのはガソリンの確保だったという。

 「最初に現地に入ったときに驚いたのは、閉まっているガソリンスタンドに何㎞もの車の列があったことです。ガソリンが入荷したらすぐ給油してもらうための順番待ちなんですね。3月21日に本社から救援物資が支店に届いたのですが、弊社の営業車もガソリンがなくなってしまい、近隣へ配布する手段がなく困りました。とはいえ、11日から20日までは津波の被害があった地域はもちろん、仙台市内も物資がなく、新潟まで代表者が買い出しに行ってしのいでいました」

 ようやくの思いでガゾリンを確保し、石巻市に車で向かうと、あまりの被害状況に言葉をなくした。目の前の惨状をのみ込めぬまま全壊した取引店を訪問し、作業着と長靴に着替えて店舗の片付けを手伝ったが、石巻市全体がヘドロ(下水・汚水・油等)にまみれており、臭気でマスクなしには滞在できない状態だった。当時(3月22日)は自衛隊なども捜索が優先で、救援物資の配布などまで手が回らず、そのためバナナ1本、小さなおにぎり一つしか口にできなかったという。

 被災店舗のフォロー通じ化粧品の果たす役割を再認識

  渡辺氏が被災店舗を訪問した際、全壊したお店はすべて廃業を考えていたが、「絶対に復活してね」「化粧品がないと困るわ」など愛用者からの励ましの言葉や、同社からのバックアップの知らせを受け、現在はやる気を出し、1日も早い営業再開に向け懸命な作業を続けているという。そしてその後に訪れた取引店において、渡辺氏は化粧品小売業の真髄を見せつけられるような場面に遭遇する。

 「仙台市内のジョイントストア様をご訪問しているときに、被災されたお店様の店長さんが買いに来られたのです。事情を聞くと、お客様で化粧品がなくて困っている方がいらっしゃるので、こちらのお店様にならあるかと思ってと、わざわざ長時間かけて来られたそうです。化粧品の果たす役割、女性が化粧品に期待していることを再認識し、気が引き締まる思いでした」

 4月1日には、小林章一社長が被災地入りした。山形空港から仙台までバスで移動(鉄道は不通)し、仙台支店へ向かった。1~3日の日程で、仙台市内のジョイントストア、塩釜市、多賀城市の被災地を視察したが、その惨状を目の前にして立ちすくんでしまった。時間の都合もあり、一部の取引店にしか訪問できないことに心を痛めつつ、社としてできうる限りの支援を行うことを指示した。

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