【週刊粧業2021年1月11日号9面にて掲載】
イオングループの創始者、岡田卓也名誉会長が、日本チェーンストア協会の第2代会長だった1970年代後半、同協会が主催する香港視察団に同行取材する機会があった。
当時岡田氏は50代初めで実に精力的に現地を見て回った。眼光が鋭く非常に落ち着いた物腰だったが近寄りがたい雰囲気もあった。
ジャスコ(現イオン)の前身は、三重県四日市市の呉服店「岡田屋」である。
終戦直後の1946年3月、岡田屋を改装してオープンしたとき、まだ早稲田大学在学中だったが家業を継いだ岡田さんはそのときの開店チラシに「焦土に開く」と書いた。「小売業は平和産業である」は彼の今も変わらぬ信念である。
大きな転機となったのは1969年、オカダヤ、フタギ(兵庫県姫路市)、シロ(大阪府吹田市)の3社が経営統合して「ジャスコ」(ジャパン ユナイテッド ストアーズ カンパニーの略)を設立したことである。
それ以降、ジャスコはM&Aを繰り返し、規模を急速に拡大させていった。また岡田氏は、「狸と狐のいる場所に店を出せ」と言い続け、全国に大型ショッピングセンターを次々と開設した。
岡田氏はこの2つの戦略を柱として現在のイオンの礎を築き上げた。
あるときのインタビューで私は、「岡田さん。ご子息は、長男が後継者、次男が政治家、三男が新聞記者となっておられます。あなたは四日市で家業を継がれたわけですが、本当は何になりたかったのですか」と質問した。
「正直言うと、本当は百姓をやりたかったんですよ。私が生まれたのは大正末期で、日本が戦争の泥沼で、もがき苦しんでいた時代です。何よりも平和な時代の到来を希求していました」
岡田さんは現在、「イオン環境財団」の理事長として、日本はもちろん、アジア各国での植樹活動などに力を入れている。
今でも岡田さんは自ら植樹活動に携わっている。累計植樹本数は1193万本を超える。また生物多様性の保全と持続可能な利用のために活動する国内外の団体に対する助成も行っている。
岡田さんの9歳上の姉、小嶋千鶴子さんは、岡田屋時代から岡田さんと共にジャスコの経営に深く携わってきた。
流通ジャーナルが「ゼンセン同盟流通部会」(現UAゼンセン流通部門)の特集を企画した当時、小嶋さんにインタビューする機会があった。
感銘を受けた本についての話題となったとき、彼女はドラッカーに関する蔵書の中から一冊を見せてくれた。驚いたのは、赤線が随所に引かれ、余白にびっしりと細かな書き込みがあったことである。
たまたま小嶋さんにお会いする前、セブン―イレブン・ジャパンの鈴木敏文社長との会話の中で、
「今度小嶋さんにお会いするのですが」
「そうですか。あの人は大変な勉強家ですよ。ジャスコの人事教育制度を作り上げたのは彼女なのです」
穏やかな人だったが、本の話となると話題が尽きなかった。まさしく鈴木さんの言っていた通りの方だった。
(次回は最終回、ダイエー 中内 㓛 元社長)